不登校小学生のカーチャン奮闘記~悩まず、焦らず、落ち込まず、人生楽しんでる記録~

こどもの発達障害や不登校にまつわる思いや情報共有を中心に、仕事に趣味に、悩みに縛られない日々を楽しむ私を切り取っていきます。

自閉症とよばれる子が「時間」というものを知る険しい道のりを思う

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今日は、午後から有休を取って長男と仮面ライダーアマゾンズの劇場版を観に行く予定でした。(有休なんだから私用でいいでしょ)

ところが。

保育園のお迎え時間もあるので行ける時間にはリミットがあるのですが、長男はそのリミット時間には絶対に起きないだろうなあと思う時間(朝食後)に寝たため、中止です。

 

次男の遠足のお弁当を作るために早めに起きたところまだ起きていたので、寝てしまう前に予定の変更を話しておこうと思いました。

 

以下、その会話。

 

私「今起きてるなら多分お昼に映画館行くのは無理だから、日曜日にしよう」

子「行けたら今日行くことにしようよ」

私「行けたら、で会社休むのはしたくないから、もう日曜ってことにしたいの」

子「どうしたの?急な予定でも入ったの?」

私「いや・・・そうじゃなくて、あなたが!昼過ぎまで寝ちゃうだろうから」

子「ぼくはどっちでもいいけど」

私「日曜は平日より混んでるかもしれないけれど、それは仕方ないって思ってね」

子「混んでたほうがいいことがあるのか!なんだろう??」

私「いや・・・もし行けなくても、私が給料減らさずに済むからってだけだよ・・・」

 

ここで会話は終わりましたが、かなり貴重なことがわかりました。

まるで会話がかみあってないということです。

なるほど、これが「宇宙人と会話してるようだ」と言われる自閉症圏の人とそうではない人の会話なのかもしれません。

 

まず、学校や勉強や人間関係が嫌だの前に、時間という概念を使う意味やメリットを理解するところから始めないといけないようです。

なにしろ自分から言い出して楽しみにしていることさえこうなってしまうのだから、自分から行きたいと思ってない学校に自分の生活リズムを合わせるなんて考えられるわけがないのです。

 

多くの子は、保育園や幼稚園、習い事、予定していたレジャーなどの経験を親と一緒に行動することで学んでいき、小学校で独り立ちしていきます。

 

年長の次男の例。

今日の遠足の日付や実は2日前に予定が組まれていて雨天延期になって今日になったことを先生から聞いて理解していて、その日からずっと楽しみにしていて、遠足金曜日だよねとか、朝は9時までに保育園にいなければダメとか、そういうのを話してくれました。

 

2歳の末っ子も。

まだよくわからないなりにも次男の使う曜日のことばをわかりはじめていて、

「きょうなんようびー?」

と毎朝真似をして聞いてくるようになりました。

 

長男は第一子なので上の子を真似るというチャンスはなかったものの、親だけでなく保育園のお友達を真似るチャンスはずっとあったので、ここは本当に個体差なのだろうなあと思いました。

長男に「下の子たちはできるのに・・・」みたいなのはタブーなので言ってませんよ!これは個体差でのニガテ度の問題ですので。

 

かくいう私も60進法がちょっとニガテでした。

自宅に置いてあったのがデジタル時計のせいだと勝手に思っていたんですが。

それでも「他の誰かとの約束を果たすために時間という概念が設定され、それをみんなで利用している」認識は無意識下で使えていたので、時計の計算ができないのはアナログ時計を置いておけば解決することだと浅はかにも思ってました。

決してそういう問題を解くような話ではなく、閉じた世界に生きる自閉症さん(言葉通りですね)は、自分が時間を利用する意味そのものを理解するのに時間がかかるのだと思いました。

 

さて、長男は「時間を理解する」必要はあるのでしょうか。

確かに、なるべく時間を気にしない生活も理屈の上では不可能ではないと思います。

親に養われることから自分で稼ぐことにシフトした時、そういった仕事を探すほうが早いかもしれません。

しかし私のアタマでは今のところ思い浮かびません。

探せば、なくはないのでしょうか。

仕事相手として誰かとつながってしまったら期限が発生してしまうし、一人でデータセンターなどにこもっても作業時間のようなものは発生するし。

その瞬間に賭けるトレーダーにしろ、逆に時間の概念そのものがポンコツだと大変な損害になってしまいそうな気がします。

 

しばらく考えてみよう。