今後の教育が求める「自己変容型知性」とは?どうするどうなる発達凸凹キッズ!
4/1が日曜日だと、なんかうすらぼんやりした新年度っていう雰囲気になりますが・・・。
次男と末っ子の通う保育園で生活発表会がありました
年中の次男のクラスは4人しかいないのですが、『3匹のこぶた』の劇をを4人で見事に演じていました。
先生が説明してくれましたが、演目は子供たちが自発的に決めて、舞台セットや衣装をどうするかも子供たち自身が一生懸命工夫して作っていたそうです。
やりたいことがいっぱいある次男は相当たくさんアイデアを出したそうで、衣装の下に着る服装も、基準の白Tシャツではなくオオカミらしく自分の持ち服のオオカミ色の服をわざわざ持参して着替えていました。
先生は「子供たちのアイデアに手を貸しただけでした」と話していました。
少人数だということもあり、先生にも、子供たちが自身のそれぞれのツールを出し合って目標を達成するためのサポートする余裕があったのでしょうね。
小さい頃に、まさに「足のつくプールで泳ぎの練習をする」ような体験ができて本当に良かったと思います。
さて、そこでこちらの記事です。
小中学校の「教育方針」が今春から変わる理由(東洋経済オンライン)
ここでは、目指すべき最終段階の知性のことを「自己変容型知性」と呼んでいます。
自己変容型知性って?
「あらゆるシステムや秩序、思想は不完全であると理解し、その限界を知り、矛盾や相反する考え方を受け入れ、対立を統合しながら1つの解を生み出していく」
ことが求められるとのこと。
日本人は、誰かに言われたり空気を読んで自分を変容させることは得意ですが、自分の意志で変わり続けるのはとても不得意だとこちらの記事でも書かれています。
今後学校の教育方針が、この自己変容型知性を目指すものに変わっていこうとしてるそうです。
それはとても希望的な未来ですが、思うところがいくつか。
まず、既に過去の指導要領で学び続けてしまった先生自身がこの段階の知性に近いものを得るまでに、かなり長い時間がかかりそうな気がします。
次に、そんな先生たちがテストで評価する基準を今までの「知識」から「自己変容型知性」に変えるだけなら、誰かに変えられることも自分がこだわりを捨てるのも不得意な自閉症スペクトラム的なタイプの子はますます居場所を失うだけのような気もします。
逆にADHDタイプの子には彼らのターンが回ってきそうな気もしますが、先生がそれをきちんと見極めて伸ばしてくれるかが鍵となります。
うーん、急には無理でしょうね。
無理して今の学校にこれらを求めるのでなく、本当に現在の学校というシステム自体が時代に合わせてそれこそ自己変容させることを考え始めなければいけない段階じゃないでしょうか。
そんな思いで読んでいた本がこちら。
やたら難しい内容ですが、最後パンドラの箱みたいに救われました(笑)
チャレンジしてみたい方はどうぞ。
「多様な意見」はなぜ正しいのか衆愚が集合知に変わるとき【電子書籍】[ スコット・ペイジ ]
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