2分の1成人式は家庭問題を非情にあぶり出す
2分の1成人式の行事としての是非の他にもう一つ問題があります
※ 前回記事です。
私は前回書いた通りこの式に特に思い入れはないので、やめたほうがいいのにと思っている方です。
反対だから式には親子で出席拒否したみたいな話も聞きますが、私は
「子どもが出ると決めたら私も行きます、出ないというなら無理に出さないし親子で欠席します」
と先生に伝えました。
先生が出席を強制するのも、親が欠席を強制するのも根元は同じことだから。
私は息子が主体であるべきなので、それに応じて動くだけでいいとおもっていました。
先生もそれで大丈夫ですと言ってくれました。なので、当日は欠席ということになりました。
でも本当に前日まで息子は迷っていました。
出たいわけはないでしょうが(笑)
というわけで、『親から子への手紙』は先生に渡してありました。
問題は、夫がこれを書くことを拒否したことです。
夫は私がお願いすると便箋セットを用意するところまでは動きましたが、提出締め切り前日の夜まで行動せず。
私が書いてほしいと言うと、
「こんなのどちらかが書けばいいんだろ」
と言って、結局書きませんでした。
その後は2分の1成人式は問題になってるなど正論を言い続けていました。
もし、息子が式に出てこの手紙を受け取っていたら
私の分しか渡されなかったら、息子にとってショックとまではいかなくても、寂しい気持ちにはなるんじゃないかと思います。
ひとり親とはまた違った悲しさ。
だって存在はしているのに、声をかけてくれないんですよ。
2分の1成人式の残酷さはこういう場面に出ますね。
でも今回はその部分ではなく、夫の方の問題として
もしまあこの式の問題点が気になり、式への出席だけでなく提出物まで拒否をするなら態度の示し方が間違っています。
反対であると、先生に言えばいいのです。
子どもには「日常的な声かけ」の手紙を書けばいいだけです。
説得すればよかったのかもしれませんが、説得されて渋々書いた手紙など貰って誰が嬉しいでしょうか?
正直本当にガッカリしました。
明らかな虐待ではない
けれどこれ、私が死ぬまで頑張って間に入って調整していかなければいけないことなの?
神経もたないです・・・。
2分の1成人式、出ない権利を行使した息子の話
息子の学校の2分の1成人式がおわりました
いわゆるフツーの小学生ファミリーの中では小学校生活中盤のクライマックス行事とも言われている『2分の1成人式』。
10歳(=4年生)になった子どもが親に
「育ててくれてありがとう」
を伝えるという、アレです。
シングル家庭など家族構成の多様化によってこの行事の存在意義を問題視する声もあり、賛否両論の多い行事でもあります。
もれなくうちの長男の学校も式典は他の学校と変わらず行われました。
ずっと気が進まない様子だった彼に、支援級の担当の先生には
「式のあいだ支援級にいても、お昼で下校してもいいよ」
と言ってもらえたのですが、長男は休むことを選びました。
わざわざ目の前で
「みんなができてるのに自分は全くできない」
という現実(と思いこんでいる概念)を見たくない気持ち、当然あるでしょう。
先生も休むことは想定内だったようで、電話で伝えたらそっとしておいてくれました。
2分の1成人式ではこれまでの成長のわかる写真を持たせるような、家庭問題なんかなくてもただ単に忙しくてアルバム未整備な家庭の親にも超ハードルの高い準備を求める学校もあるそうです。(保育園から購入した写真が多すぎて手一杯)
長男の学校は、学校が親子愛を再確認させる上で利用するツールのど定番
『親から子への手紙』
キタコレ。
2分の1成人式というカタチはまだ私が小学生だった頃にはありませんでしたが、林間学校かなにかでこういうやりとりがあったのは記憶しています。何十年変わらないんでしょうね。
感動の押し売りとも言われていますが、実際本当に感動してる子も当時からちゃんといるんですよね。
いややはり昔からそちらがメインでした。
そういった子どもの姿を見ると先生も親も嬉しいと思いますよ。
先生側はそういうわけにはいかない子たちの存在だって見えているはずです。
でもやってきたものをやめると言う勇気はない。
「上の子だけやって下の子がないのはかわいそう!」と言い出す親の説得も難しい。
自分たちも感動しているという高揚感もある。
こんなに世間で賛否両論な行事、辞めてしまった方がラクなのでは?とも思うのですが、しばらくはもやもやしながら続けられてしまうのかな。
『師走』は2月に再設定したらどうだろうか
年度更新時に全てが動く日本では、2月がブラック月である
2月です。
会社勤めなどをしていると年またぎより年度またぎの方が繁忙期になります。
ブログの更新も止め、健保では新年度予算案を作成していました。
学校関連も年度またぎの方が慌ただしいです。
次男が来年度新1年生のため、それに向けた準備がありました。
いや、ママがおうちにいて特に本人にも課題がなければ、就学前健診と入学説明会に行けば済む話なのですが、そこは我が家。
- 就学前健診→予想通り就学相談を勧められる
- 就学相談の初回面接と検査
- 区役所で指定校変更手続き
- 学童クラブ面談
- 就学相談の検査結果報告
- 就学相談の集団観察会
- 指定校変更後の学校面談
- 就学相談の結果報告
- 入学説明会←new!
行程多すぎ!!
この中にいくつか
「これ現場行く必要ある?」
というものも見受けられます。
面談はともかく、結果報告などは特に質問事項がなければ郵送かメールで済むのでは?と。
そういうものはいざ対面しても10分足らずで事が済みます。
それでもこちらは半休、時間の設定によってはその10分のために全休しなければならないんですよ・・・。
教育現場だけでなく、教育委員会も時間効率化のためのアップデートをぜひお願いしたいところです。
さすがに
「面談をスカイプでやれ」
とまでは言いませんから、せめてメールくらい使えばいいのにね。
(スカイプなら嬉しいですけど)
このほかにも保育園関連の召集がいくつかあり、さらに次男のインフルエンザ休みが1月にあったため、今年も有給休暇は惜しみなく使わせていただきました。
来年度は「計画休暇」なんて余計なお世話な休暇日の固定化をされるため、来年度も休暇数との戦いになることは間違いありません。トホホ。
寒い季節に活動的になる性質なので、新しいサービスを始めてみました
あけましておめでとうございます。(遅っ!)
新年一発目の記事です。
私は何故か冬に動きます
ブログを正式に稼働させたのも冬でした。
自分で言うのもなんですが、昔から夏より冬にモテ期がありました。
普通は夏に活動的になる人が多い中、何故か私が活動的になるのは冬なのです。
つい先日誕生日を迎えた真冬生まれだからなのでしょうか?
そしてこの年末年始でまた新しいことを始めました。
オンラインサロン『勝間塾』内でのクローズドな企画なので会員の方しか参加できないのですが、これから先やりたいことを少しだけカタチにできたものです。
おかげさまで初期メンバー10人募集で、告知即日定員達成しました。
子育てや介護、自分の持病などがあるとどうしても難しくなるのが予定通りに行動をすることです。
普通の生活をする人にとってはそんなの社会人として当たり前と思うことでしょう。実際私も言われたことがあります。
でも自分や身近な人に病気や障害が発生した場合、そんな簡単なことができなくなるのです。
子どもの場合は重い病気などでなくても、急に発熱したり嘔吐したりすれば親の看病が必要になります。
コミュニティへの参加を予定していても、不測の事態があればドタキャンです。
当然謝罪をするわけですが、ドタキャンされる側はもちろん、謝罪している方もかなりメンタルが削られます。
ちなみに、完全不登校の子どもの親は生存確認という理由から
「すみません、今日も休みます」
という予定調和のドタキャン謝罪という恐ろしく不可思議な行為を毎朝しています。あれほんとに誰も幸せにならないですよ。
それなら自分たちで自分たちに合ったカタチのイベントを主催しよう
学校の欠席連絡やコミュニティのイベント出席代行まではできないけれど、そういう事情の分かる人同士が集まってみんなで参加しやすくてキャンセルしやすいイベントを主催して運営すればいいじゃんっていうのが今回のグループ設立の意図です。
複数名で運営してるから、ひとり主催者がドタキャンすることになっても大丈夫。
そんなサポートがしあえるグループに育てていきたいなと思っているところです。
このグループを立ち上げるまでに、小島シゲオさん(勝間塾つながり)の副業コーチングを受けたり、ファーストペンギン大学というこれまた別のオンラインサロンにてFacebookでのオンラインサロン運営を学んでみたり、あとはPTAの役員を通して互助とはなんぞやということを考えてみたり、昨年の学びを少しでもアウトプットできたかなと思っています。
今はまだサロン内の実験のようなものですが、ここで育てたものをサロン外でもアウトプットしていく日を目標にしていきたいです。
今回紹介したサービスはこちらから。↓
別室登校をやりとげた長男の2学期を振り返って
ご無沙汰すぎです。ごめんなさい。
なんだかんだで2学期も別室登校を続けた長男
クラスの授業に参加したのはほとんど算数、あとはたまに図工や理科に参加しました。増えてる。
「国語と社会は参加しづらい」
「音楽だけは絶対最後まで参加しない」
相変わらず音楽嫌われてるなあ(笑)
2学期の行事一覧と結果
- 移動教室(1泊) → 班決め通りに行動、無事帰宅
- 運動会 → 徒競走のみピンポイントで参加、あとは家にいた
- 学習発表会 → 裏方で参加
- 土曜公開授業(毎月) → パス
昨年は運動会も学習発表会も全く参加の余地がなかったのに、今年は無理矢理ではなく自分からここまで参加する、と言って達成できたことは本人にとっても自信がついたんじゃないかなと思います。
学習発表会は演劇だったこともよかったかな。来年は音楽なので参加しないと思います。
私も大きな行事を終わらせました
希望者のみ参加の、区P連主催の音楽発表会。
当然うちの子は参加するはずがありません。
なんでこういうPTAの企画って必ず音楽か体育で繋がろうとするんですかねえ?
私は成人部の役員なので参加して裏方作業をやってきました。
長時間いわゆる『普通の子』たちの面倒をみていることって経験がなかったのですが、いやー、言うこと聞いてくれるからラク!!(笑)
役員のお子さんも来ている家があったのですが、結構ちょこちょこお説教したりしてるんです。
私からしたら
「ええええ、いったいどこが不満なの!?」
というレベルです。ごめんなさいハードル低すぎて・・・。
あとこの行事に参加できたことの収穫がもうひとつ。
企画段階で話を聞いていた時
この時点では
「音楽の先生クセがありすぎて怖い!そりゃうちの子も授業いかないわあ・・・」
と思っていたのですが、直接お話をしたり、練習見学に入ってみたりすると、このイベント参加の子どもたちにやたら高いハードルを設けてガミガミ言ったりはしてませんでした。
低学年の子たちも怯えていたりはしないので、親のいないときは態度が違うなんていう風もなさそう。
芸術家系の先生に多い、ちょっと完璧主義に近いだけの方なのだという感想です。
長男は完璧主義の方向性が違うのと、そもそも『好きな音楽以外はすべてノイズ』と分類する耳なので、単なる相性の問題という理解に落ち着きました。
長男にもぜひわかってほしい部分なのですが、何事も自分で体験してみないと正しい情報って取得できないんだなあと改めて感じました。
やってなさそうな教科も一応成績のついてる通知表を受け取り、今は冬休み。
クリスマスプレゼントにドラクエビルダーズ2をもらい、毎日上機嫌でプレイしつつ、ちょこちょこと宿題は進めています。
さてさて、どんな3学期を迎えることになるでしょうか・・・?
一瞬のうちに虐待親認定されそうになった日
こんな記事がアップされたまさにその日にわが身に降りかかった案件
児童虐待の通告、過去最多3万7千人 今年上半期:朝日新聞デジタル
身バレ?
もう長男の件でバレそうなこと既に書いてるから知らん。
2歳の末っ子は通常機嫌よく保育園に行くのですが、たまたまこの日は保育園を行き渋り、保育園の前までくるとベビーカーに乗ったまま駄々をこねて近づくと殴る蹴るの暴行を加えてきました。(酷)
というわけでこちらもだんだん語気が強くなっていくのですが、生暖かくスルーしてくださったお母さんたち(ありがとうございます)が行き交う中、あるお父さんが
「おい朝から保育園の前でうるせえんだよ!警察に通報するぞ、虐待ならよそでやれよ!」
と言ってきました。
マジです。
虐待ならよそでやれ、と言いました。
(実際暴行を受けているのは親なのですが)
でも、字面だけ見るとこれ、
親が子供に対して心理的虐待していると疑われる案件を善意の第三者が警察に通報しようとする
という、先日あった児童虐待死事件から発生した世論によって完全に正しい行動とされたものなのです。
「虐待だと思ったらすぐ通報」の影響
この呼びかけは事件を機に広く世に伝わりました。
これは今にもあの事件同様悲惨な環境にいる子どもを救うためには必要なものでしょう。
で、189『児童相談所全国ダイヤル』などが告知されたのですが、これを思い出すより先に世間一般に知られた110番も通報先として推奨、しかも匿名でOKとされたわけですから、迷わずこちらに電話をする人が多いでしょう。
今回の記事のデータも、だからこそ「警察から児相への通告数」が急増したのでしょう。
実際私が110番を呼ばれた場合、私のところに来るのは児相の人ではなく警察官です。
即座に「通報されて職質された人」の出来上がりです。
「その後どうなりました?」と聞いてくれた方などには説明できますが、ちらっと警察との職質を見かけただけの人にはほぼ前科者と同じような印象になる可能性も否定できません。
変なウワサが広まりやすい地域だったら、地域的な孤立だってしかねません。引っ越さないとやっていけないような地域だってあるのでは?
気になったので色々検索してみたところ、社会活動家の湯浅誠さんが189通報について記事を書かれていました。
児童虐待 はじめての189通報とその後に起こること(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース
こちらの記事では近隣・知人からの通報は全体の2割程度とインタビューに回答した児相の所長さんのお話です。
通常の場合は、近隣の人は通報に躊躇するであろうということが記事にも書かれています。
でも今回のことで思い知らされたのが、
「通報するぞという脅しが使える」
ことです。
実際通報するのはためらうけれど、そう言って相手を脅して自分の言い分を通すという方法ならあるということです。
先程の湯浅さんの記事には
ただやはり、近隣にもう少しつながりがあれば、という思いもあります。
隣の顔が見れていれば、もしかしたら「お母さんも大変だね」になったかもしれないことも、顔が見えていないと悪い方向に考えてしまうこともあります。
これは正当に抑止の声掛けですが、今回のケースは違う、と今でもはっきりそういう印象に思います。
私は幸い旦那があとから来たり、意外と大騒ぎして周りを巻き込んでいく外向きタイプなので、即座に保育園の入り口に行って園長先生に助けてくださいと言ったり周りのお母さんに「ご迷惑おかけしてます・・・」などと拡散するので、単独で脅しづらい布陣を敷きました。
あちらも勢いに乗ってくれてなんと園長先生に
「あのオンナが!迷惑なんだよ!」
と、全く冷静さに欠けた言い方で園長先生に詰め寄ったりして、「通報されるならアンタだよ」という状態に勝手になってくれました。
あれ完全に私がどこかに逃げたり隠れたりして一対一になったらどうなるかわかりません。
勢いが全部こちらに向かってくるわけですから、怖いですよね。
虐待を指摘する人間全員が子どもの人権を考えているわけではない可能性
「警察呼んでくださいよ、事情説明しますから」と言ったら、色々捨て台詞を吐いて逃げて行きました。
その捨て台詞の中には
「迷惑だから家で虐待やれよ、家でなら問題ないんじゃないの!」
と、結構地雷な言葉が入っていました。
実は子どもを叱る親に直接アプローチしてくる人間の中には、一定数こういう人がいるだろうと私は思っています。
「家でやれよ」
要するに、自分が見えるところでゴタゴタしているのが嫌なだけです。
子どもの安全や人権を考えているわけではないのがハッキリ言葉に出てしまっています。
この一言で救うべき子どもがさらに奥深い密室に閉じ込められていくのではないですか?
子どもが心配だから通報する人と、自分がうるさくて迷惑だと思っているから排除するために通報する人。
今後この違いを、警察は「勘」で見きわめてくれるのでしょうか?
それともこういうのを通報者の声色などからAIで判断するようになるのでしょうか?
対策は今のところ「気にしない」くらいしかない
以前この記事を見て感受性の強い子(長男のこと)を持つ母としての無力感を感じたのをまた思い出しました。
虐待していないのに通報されたら、「気にしない」 | 伊藤徳馬の どならない子育て | 日経DUAL
普段から「うるせえな」と思われていそうなうちの親子など、完全に嫌がらせみたいな通報のリスクでさえ増えるのではないかなと思います。
だって、本当の虐待を疑ってるんじゃなくて、「うるさいから通報してやれ」なら躊躇なんてしませんよね。
「不登校の子どもを親が学校行かせようとしていない」
ことだって、立派なネグレクト案件になるかもしれません。
子どもが学校に行っているはずの時間にコンビニなどに立ち寄っていたらそう通報されるかもしれません。
今の長男は別室登校しているのでそういうこともないですが、きっと学校側もそういうケースを心配してなんとか少しでも学校と子どもと保護者に接点があるという事実を作ってくれるために努力してくれているのだろうなと思いました。
それにもしかしたら
「あの女エレベーターで俺が乗ろうとしてるのに閉めやがった、よし通報してやれ」
みたいなケースだってあるかもしれません。
匿名OKなら誰かを虐待加害者として仕立て上げることだって可能です。
だって、「虐待全くしてません!」って言える人ってどのくらいいるかわかりません。
もしほんの少しでも「かわいそうなこと言ったな」(これも主観)という記憶があれば、虐待でしたって認めてしまうことになるでしょう。摘発1件です。
それら全て気にしないで済ますとしたら、ほんとどんなメンタルで子育てするんだよ。ダイヤモンド硬度の悪魔将軍かよ。
子どもを持つと世間みんなから品行方正具合を監視されてリスク増えるぞ、と思ったらさらに子どもなんか生みたくなくなるかもしれません。
これもちょっと前の古市憲寿さんのコラムなのですが、
「お母さん」を大事にしない国で赤ちゃんが増えるわけない【古市憲寿/保育園義務教育化・4】 — 保育園義務教育化4 | Hanako ママ web
こちらを思い出しました。
なんだか第二次大戦中の隣組みたいですね。
実はこういうことにAIが使われるようになったりして。
日常的な虐待があるかないかは、AIスピーカーが常に拾っている音声で確認できるとかね。
逆に、日常的虐待がない証拠の立証をAIスピーカーがしてくれるようになるかも。
よかった、うちアレクサもグーグルホームもいて。備えあれば憂いなし。(違うか)
親が子どもの選択肢をあえて減らすのは必要な試練かはたまた嫌がらせか
先日、不登校児親の会のイベントに参加してきました。
2か月に1回の会ですが、何かと予定が入ってしまい久々の参加になりました。
ここ最近長男自体が安定しているという理由でこの傾聴会を最優先項目にしてこなかったことにもなるのですが・・・。
私は不登校の子ども本人の思考に近いらしい
私が長男本人との関係でなく周りの大人と戦っている様子を、リーダーさんはそのように指摘し、混乱していると言いました。
とにかくまずは、問題をリストアップして優先順位をつけるようにと。
確かに私はウィッシュリストがとてつもなく多いです。
アマゾンのウィッシュリストも大変なことになっていますが、脳内のウィッシュリストも膨大だしそして何かと抜け落ちます(笑)
子どもの行事や持ち物について絶対必要なToDoだけはやっていますが、それだけではなく、優先順位をつけるためのアウトプットはした方がいいかもしれませんね。
で、現在のシステムでは必要となってしまっている私の母親が、どうしても長男を学校に行くように追い詰める問題について、
「捨てればいい」
と言い切られました。
ここからが難しい問題なのです。
既存の学校システムを信奉している部分(もう団塊あたりの高齢者は仕方ないかもしれません)以外は何かと協力してくれている実家を切り捨てることによって同時に学校の協力の条件を捨てることになります。
そしてそれは長男に
「大人は大人の都合で急に裏切る」
ということを提示することになります。
このリーダーさんのおっしゃる内容を私の解釈でまとめると
- 既存の学校システムに乗っかる必要はない
- 家で母親が子供に全てを捧げて見守ればいい
- でも導くわけではなく見守る
- この世の理不尽さや苦痛を子ども自身の力で体験させて成長するのを見守る
これ、実はかなり難しいです。
まずは経済的にです。
確かに無駄に教育費に投資する必要はないかもしれませんが、子どもが自分でやりたいと言ったことさえ体験させてあげるができるかどうかを、父親一人の経済力で何とかできるかどうか、全ての不登校児家庭が実現できるとは限りません。
さらにうちの場合は子どもが3人います。私が全ての時間を子どものためだけに使うようになったら、習い事どころかインフラ費用と食いつなぐことに必死のような状態になるかもしれません。
さらに、母親が子どものために何かを捨てたと知った時の子どもはどういう気持ちになるかも気になります。
どうにもならない止むなしの原因(転勤やリストラなど)なら子どもにも伝わるのではないでしょうか。
でも試行錯誤をせずに優先順位のせいにして切り捨ててしまい、それさえも成長の試練だというのなら、あまりにも責任を子ども自身に押し付けすぎのような気もします。
平均的な不登校の子どもの年齢が中学生以上だから、アプローチの仕方が違うのでしょうか。
子ども自身が選んだ道でつまづくなら見守りますが、大人の都合で振り回しておいてこれも試練だというのは学校の理不尽さとあまり変わらない、家族が元凶なだけにもっとタチが悪いと思うのは私だけでしょうか。
私自身はそんな感じで試行錯誤中ですが、おかげさまで長男はフル登校まではしていないものの、運動会や1泊の移動教室にも意欲が湧いています。
本当に参加するかはわかりませんが、やる気があるならその準備はサポートしていきたいと思います。
ここ最近、自分自身でも心理やカウンセリングの勉強をして、不登校が始まったばかりのご家庭や長い間もやもやされているご家庭の親御さんのピアサポートをしていきたいと思っています。
そういったサポート活動は増えています。暗中模索中の方も、ご自分に合った話し相手を見つけて話を聞いてもらうことは癒しになったりエネルギーチャージになったりします。
現在迷われている方も、積極的にそんな居場所を探してみてくださいね。
お子さんの不登校について悩みを聞きます 身近な人にうちあけられないお母さん向けのピアサポート|愚痴聞き・話し相手 | ココナラ